認定特定非営利活動法人 杉田玄白・小浜プロジェクト

杉田玄白肖像 日本近代医学の先駆者『小浜藩医』杉田玄白 日本近代医学の先駆者『小浜藩医』杉田玄白(スマホ用)

杉田玄白肖像、早稲田大学図書館蔵

蘭学を日本に広め、日本の医学と学問に
革命をもたらした先駆者・杉田玄白。
『解体新書』の翻訳という前例のない挑戦を通じて、
西洋の知を日本に伝えました。

未知の世界に踏み出す勇気と探究心、
仲間とともに困難を乗り越えたその姿は、
今なお多くの人に知の力と挑戦する
精神を教えてくれます。

小浜城鳥瞰図
小浜城下鳥瞰図、小浜市酒井家文庫蔵

偽の世にかりの契りとしりながら
ほんじゃと云ふにだまされた
ここは狐の宿かひな コンコン

踊る杉田玄白の画像 たくさんの趣味をお持ちなんだ 交友も広く 世の中への関心も深く プロデュース能力がすごい

杉田玄白自画像、早稲田大学図書館蔵

杉田すぎた玄白げんぱく

1733年10月20日(享保18年9月13日) – 1817年6月1日(文化14年4月17日)

杉田玄白は、尚学の気風に富み、人材の育成に注力した若狭小浜藩の藩医であり、前野良沢、中川淳庵とともに、江戸小塚原(こづかっぱら)で行われた刑死体の解剖に立ち会ったとき、持参していたオランダの医学書「ターヘル・アナトミア」の解剖図の正確さに驚き、翻訳を決意し、「解体新書」を完成させました。

また、「医食同源」や「養生七不可」など多くの教えを遺され、日本の近代医学、あるいは近代文化の先駆者といわれています。杉田玄白は、若狭小浜藩の藩医杉田甫仙の子として、小浜藩主酒井家 の屋敷があった牛込矢来(現在の新宿区矢来町)で生まれ、元文5年 (1740年)には一家で小浜へ移り、父が江戸詰めを命じられる延享2年 (1745年)まで過ごしました。

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