一関藩いちのせきはん

(岩手県・一関市)

一関市には「一ノ関に過ぎたるものが二つあり。時の太鼓と建部清庵」という歌が伝わっています。一関藩の建部清庵(たてべ せいあん)は、杉田玄白とは手紙のやり取りだけの間柄でしたが、杉田玄白の最大の理解者でした。ふたりの間には何通もの書簡が交わされています。藩主の許可を得て、清庵の五男、由甫(ゆうほ)は杉田玄白の養子となり、杉田伯元(はくげん)を名乗りました。伯元はその後、玄白の長女、扇と結婚しています。清庵の著書「備荒草木図」などは一関市博物館に所蔵されています。

一関藩からは、大槻玄沢(おおつき げんたく)も杉田玄白の弟子となり、解体新書の改訂版「重訂解体新書」を著しました。玄沢とは、師である玄白と良沢の二人から1文字ずつもらってつけた通り名です。東北新幹線・一ノ関駅前には「大槻三賢人」の胸像がありますが、玄沢→磐渓(息子)→文彦(孫)と偉業の血筋は引き継がれ、大槻文彦は、大変な苦労を経て1889年(明治22年)我が国初の国語辞典「言海」を編纂しました。「言海」の初版本は、一関市には無く、小浜藩主の酒井家に献上され、酒井家文庫に所蔵されています。