「養生七不可」(杉田玄白) 現代語訳
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資料:「養生七不可」現代語訳
昨日非不可恨悔(昨日のことは恨んだり悔やんだりしない)
昨日は過去、たとえ少しの過ちでももちろんあらためることはできない。しかし、人はひとたび思いもよらぬ不幸に出逢い、目標を失って自分の意にまかせることができなくなると、心にこだわり、忘れることができず、いつまでも悔恨が続く。こうなると心が晴れず、愚かにも天寿を縮めてしまう。
明日是不可慮念(明日の事をあれこれと思い悩まない)
明日は知ることはできない。おおよそ、できるかできないかは賢愚に関係なく、あらかじめ知ることができる。それなのに出来ることをせず、到底できそうにないことを無理になそうとして、無益に心を労してしばらくも心が平安でなく、鬱々として日々を心楽しく過ごすことのできない人がいる。これもまた愚かなことに、天寿を失う。この二つを理解できないと、諸々の病気になる原因ともなる。この理を理解し納得する秘訣は、ひとえに決断にある。
飲与食不可過度(飲み過ぎ、食べ過ぎをしない)
飲と食の二つは、その品をめでて、味を楽しむものではない。ただ、その身体を養うために飲み食べるのである。というのも餓えたり、食べ過ぎたりすると気力に強弱がでるのが、何よりの証拠である。すなわち、飲み食べたものはお腹の中に入って、自然の力で消化し、その度合いがよいときは清潔な血液を生じてよく身体を養い、種々の効用を発揮するのである。古いものは棄てて、新鮮なものが身体を養うことは、人々は自然に理解している<その理由は後で説く>、しかし飲食の度が過ぎると身体を養う以上のものが残り、それがだんだんに汚物となって、ついには病気の原因になる。古人も「守口如瓶(口を守ること瓶のごとし:瓶の口を封じたように口がきわめて固い)」と箴めたのである。すなわち、飲食は適度がよい。<度合いが余りもなく不足もないのを貴いという。少しぐらい不足なのはかえって体に良いが、余るのは害がある>
非正物不可苟食(不自然なものは食べない)
食は五つの味をバランスよく食べるのがよいが、品数を多くまじえて食べるべきでない。椀のなかではそれぞれ別ではあるが、胃の中へ入れば混じり一つとなって消化され、それが不潔の血液を生じさせる。例えれば、五色の混じったものを何色とも名づけられないようなものだ。ことに、饐餲したもの(すえたもの)、魚鳥の肉、新鮮でないものは最も食べてはいけない。これらもまた、不潔の血液となり、病気の原因となる。ただ、新鮮なものを品数少なく食べるのがよい。
無事時不可服薬(なんでもない時は薬を用いない)
薬は効き目があるものだから、誤った用い方をするとかえって害がある。だから昔から毒ともいった。しかしながら、今の人はこれを知らずに薬さえ服用していれば良いことと思って、大したことでもないのにみだりに薬を用いるのは甚だしい誤りである。「医療をしないことがほどよい医療である」ということもある。たいていの病は薬を服さなくても、自然の力で治癒するものである。片田舎のひとは、病になってもたいていは薬を飲まなくても快復することが多い。
たとえば、酒を飲み過ぎた人は口が渇き、頭痛がして、心も懊悩して、吐く事を欲する。そして最後には自ら吐いて、飲んだものを吐き尽す。こうなるとたちまちに快復する。これは自然の力で治るという証明である。しかし、吐こうとしても自分の力では吐けない人には、吐薬を与えて吐かせるのである。それで吐くときは自然の吐逆と同じであり、これが薬効であり、理にかなった服薬の仕方である。
総て病気が治るのは自然の力であり、薬はその力の足らないところを助けるものである。西洋の人は、自然は体の中の一大良医であり、薬はその補佐であると説いている。このことを弁えずに、ちょっとした事にも薬を服するのは、その効力少なくて、害が多い。とくに常用薬には気を付けなければいけない。かりそめにも腹中に入ったものは再び取り出すことはできない。ちょっとした例をあげてもこのことは理解できる、たとえば鼠や蝮が人を傷つけるのは、微細な歯で人を咬んだり螫したりするからである。その毒気が血液によって、体中に散らばって大毒となり、ともすれば命を失うに至る。薬も同じであり、たとい一丸、一さじでも効力のある薬は軽率には服してはいけない。恐るべきは薬であり、誤ってこれを用いると害があるゆえんである。
頼壮実不可過房(元気だからといって過ごさない)
人間の精液は、一生涯にその量が定まっているものではない。そのときの感動によって、血液中の精気を分けて、一種の霊液として射し出すものである。ゆえに万物の霊長である人をも生み出すのである。このようなものをみだりに房に入って精液を費やすときは、精気が衰えて生命を損する事は、言葉で説明しなくてもわかるであろう。
勤動作不可好安(まめに身体を動かして、安逸に流れない)
血液は飲食によってつくられるが、体の中を巡って昼夜止むことがないのは、川の水が止まらないのと同じである。この血液からオランダではセイニューホクトと名付けられているものが作り出される。漢人が気と名付けるものがこれである。<私が『解体新書』で「神経汁」と訳したものがこれである。漢人の説では形がないものとされ、蘭人の説では形あるものとされる。その説くところは異なるようであるが、よく校訂すれば一つのものである。「物理小識」が説くところは蘭人の説に近い、あわせて参考にされたい> 血液はこの力でめぐり、気は血液の潤いでもって成り立っており、あたかも一つのもののごとくである。<漆器に息を吹きかければ露ができ、碁石を握ればまた露ができるのは共にその証拠である。後注と見合わせてほしい。>この両者の巧妙な働きによって生涯を送ることができるのであり、これは総ての人皆同じである。
しかし、日々生じて、日々増えていくのでは害があるので、天の与えたものによって、内には内臓でこれを分けてその色を変化させ、外には九つの穴から排出する。体の上部より出るものは、痰、唾、洟、涕であり、下部よりは小便と、その糟粕は大便として棄てる。その精の気となるものは,鼻孔より空気を吸い入れ、吐く事によりまた鼻孔より排出する、そのほかは、体中の腠理より霧のように蒸発させる。<腠理とは、汗孔である、この孔よりでるものを西洋ではヲイトワセミングと名付けているが、通常は簡単には見ることはできない。冬、天候の良くない時、鼻孔にかげろうのように見えるものがこれである。皮膚に潤いがあるのもこのもののためである> このように、日々、適切に排出される人は病気にならない。これは血液が清潔で、よくめぐり、気も閉塞しないためである。
このように健康な人も動作を惜しんで安逸を好んでいると、清潔な血液も次第に不潔となり、気も塞がって <動作をしないと血液の流れが悪くなるという証は、たとえば、久しく坐ったり、久しく臥したりすると、その床についた下の方は、自分の体の重さに圧されて、気や血液が自由に流れない。そのため、そこが麻痺する。しかし、これにも遅速がある。楽しい時は遅く、患いごとのある時は速い。しびれの起こる起こらないの分かれ目である。長患いの人に床擦れができるのはその甚だしいものであり、血液が腐敗するのである。> 百病を生じる原因となる。<雨水は茶を煮るのに適している。これを貯える方法は、雨の降る時壺にうけてこれを貯え、口を蓋して傍に置いておき、昼夜その傍を通る時壺を振り動かしてやれば、数日が過ぎても壺の水はそのまま清潔なこと、新たに降る雨水のようである。もし振り動かさなければ腐敗して濁りを生じ、ついには垢を生じ虫も生じる。人が動作をきらい血液が不潔となることも、この理屈に似ている>。
人に生まれながらの強い、弱いがあるのは、草木を同じ時季に種をまき、同じように培い、同じ畠で育てても肥痩があるのと同じである。よく生長するのとあまり生長しないのとはその種による。しかし、それ相応に花が咲き、実り、秋になって枯れるのはおなじである。これはその天年(天からうけた命)が終わるのである。もし、風雨に逢って吹き倒され或いは人間に傷つけられ、そのため思わない時に枯れるのでは、(その草木の)天年は終わっていない。人もまた同じである。生まれつきの毒があるかないかによって強弱があるので、毒のあるものは生まれつき弱く病がある<この毒による病は治すことが難しい>。このような人も、よく保養すれば、天から受けた寿命を保つことができる。また、生まれつき強く、病のないものも、その生まれた後の毒ともいえる保養が悪いと病を生じて<この毒による病者は、保養を能くして、薬を用いれば治るものである>天寿をまっとうできずに死ぬのである。これは草木が風雨に逢って時ならずして枯れるのと同じである。
愚老は生まれつき病弱ですべての事が人並ではなかった。しかし、幸いにして医家に生れ、少しは養生の道も弁えて、幼いころより無理なことはしなかった。そのおかげか、この年月を無事に過ごせて、子や孫にも恵まれ、今では人からその健やかさを羨ましがられるほどである。しかし、生まれつきの病身を治したのではない。自分自身の事であり、かつ医者であるから脈をみて腹を探ってみてここがよくなったと思う所もないが、早、来春は古希を迎えるということもあり、目や歯は少し悪い。そのほかは、不自由なところもなく、その健やかなことを誉められるのもあながち虗誉(おせじ)ではないようだ。愚老より年の若い朋友たちのうち、丈夫なのを頼んで生活をした者は皆「千古の人」となって、今でも元気な人は少数である。前にたとえた草木の成長は悪いけれど、同じように花が咲き、実り、枯れる時季までは保つというのは愚老のようなもののことだろうか。
すべて不潔な血液が順序よく泄れ去らないとき、その余ったものが都合の良い所に滞留して、積もり積もって酷い悪液に変じて、その極みには梅毒などの長年治らない瘡口より流れ出る悪水のように、臭気は鼻をつき、味は極めて辛く、それは膽礬(硫酸銅からなる鉱物)に似ている。それが筋肉を腐蝕させ、硬い骨をも朽ち腐らせるのである。そのため、鼻柱も落ち、頭蓋骨も砕く。梅毒だけではなくほかの病でもまた同じようになる。このように恐ろしい悪液を貯えながらも、長年、命を保つのは幸いにもその悪液が一か所に集まり滞るからである。もし悪液が身体中を巡るか、生命を主る要所を侵し傷つける時はたちまちに死ぬのである。その悪液の一か所に集まり瘡となるのは、前にたとえた、草木の幹だけが半ば朽ちて、枝葉が枯れないようなものである。これはその根に腐敗が入らないからである。
また気の変化により閉塞して病となるのは、病が皮膚の裏にあることなので簡単には説明できない。たとえば、心臓の下の痞と腹の微満する類は、多くは気の閉塞による。ゆえに欠伸をすれば泄れ、放屁すればもれる。この滞る気が泄れ去ることにより、緩んで快を覚える。また、そのほか「留飲」に似た症状(酸性のおくび)もあり、これも腸に気の集まる所があって、その所が膨張して他を推し圧迫するのでひきつるところができるのである。これらによって腸の位置が片位し、あるいは上下して、そのもとの位置とは少し違うのである。<腸は博多ごまに糸を巻いたような順序のよいものではない。上下左右種々に迂回し曲折しているものである。だいたい、魚鳥の腸に似ている。> ゆえに、能く腹をもめばその本位に復して、その気の集まったものが散じる。この時は、雷鳴し、あるいは水のように鳴って治癒する。また、鍼をして治すのも同じである。その鍼の先(眼)より微かに気が泄れてよじれた腸が元に戻るからである。その気の閉塞が甚だしいのは命に係わるのは悪液の害と同じである。<およそ気というものは雨を帯びた風のようなものである。その力が弱いときは害がほとんどない。それが暴烈になると非常に強力となり家を倒し垣根をも倒す。また童子が遊ぶ紙鉄砲というものがある。これは細い竹の後と先の節をとり、その筒になった竹のなかの半ばより少し先の方へ噛んだ紙を丸めて細い棒で推し送り、また別に一丸を作り同じように推しやる時、その二つの丸の間の空気が徐々に圧せられて勢いが強くなって終には、先の丸を激発させる。その音はあたかも二、三分の鉄砲のようだ。気の閉塞して勢いを増すこともおおよそこれに似ている。>
思うに、風、寒さ、暑さ、湿気は婦人女子で冨家に生まれたものは、居室の手当や衣服の備えによってどの様にも防ぐ方法があるが、すべての男子は立場上、野外を往来しなくてはならないものゆえ、貴人でさえ天が支配する気を防ぐ方法がない。愚老は長年、外からの邪(気)に傷つけられた人を診てきたが、血液が清潔のものは多くが軽症であり、治療がしやすい。元々、不潔の血を貯えている人は邪気がこれに混じって重症となる。いわゆる「邪気乗虗入(邪気は虗に乗じ入る:邪気は油断に乗じて入る)」というのは此類の事に違いない。このところをよく理解して、常に血液が不潔とならないように気をつけるべきである。だいたい、大病を患った人は、その快復後は多くの場合、病の前と比べて、体が元気になり無病となるものである。これはどのような人も大病中は飲食を慎み保養を宗とするからであり、その貯えてきた不潔の血液が病中に泄れ出尽して、新しい清潔な血液がよく身体を養うからである。これらのことから血液の成り立ちをよく理解しておくべきである。
また、たまたま、今まで説いてきたところの主旨と違って、長命だった人もいる。中島官兵衛<隠居して後、寛亭といった>という人は毎日大酒を飲んでいたが八十五歳まで生きた。西依儀兵衛<成斎先生といった>という儒者は大食漢にして美食家であったが九十八歳の長命であった。三井長意という医家は七十四歳で男子をもうけた。その子が十九才の時、家を譲り隠居して四年後に死んだ。<この長意という人には直に接したわけではない。その家を継(つ)いだ子を宇右衛門というが、この宇右衛門とは親しく交際し、長意の平生をよく聞いていた。そしてその宇右衛門も七十歳ばかりで男子をもうけた。>。悦友太夫<隠居して徳寿斎といった>といふ人物がいた。生得の才気もあったのに、どのような不幸のめぐりあわせか、その身上がいたって貧しく、宮仕えの間にも思いもよらぬ出来事で家禄を随分減らされ、そのうえ、息子の事で隠居後も罪をこうむったこともあった。はたから見ても、こうまでなっては命も縮まるだろうと憐れんだものだが、八十五歳まで長生きをした。本橋岡右衛門という人物は、たいした身分ではなく、微禄の者であり、なんとか夫婦の暮らしが成り立つぐらいで、子どももなく、楽しい様子も見えなかったが、滞りなく六七十年を勤め上げ、九十の年に、士分に加えられて、九十九歳で近頃亡くなった。このように様々に変わった人々が皆長命であった。いずれも同藩(小浜藩)の藩士であり、朝夕と出会い、その平生をよく知っていた。それらの人々は、すべて心がまめなうえに、体を動かすことを億劫がらず、事に望んでは、決断よく、成るか成らないかを能く弁えていた人たちであった。されば、天禀(生まれつきの能力)が強い人の場合は、少しは飲食の度を過ごしても、よく身体を動かし、決断がよければ、気も滞らず血液も不潔にならなくて、長命になるものと思われる。ここからはこの二つの事が、養生の第一なことが明らかである。他所(小浜藩以外)でも長寿のものを見たが多くは此類である。しかし、その平生をよく知らないので証拠にはし難いので、ここには挙げなかった。もし、生まれつき虚弱のものがここのところを弁えずに、彼は大酒飲みだったが、何歳まで生きたとか、またこの人は、大食だったが多病ではなかったなどとして、自分の生まれ持ったものを弁えずに、みだりに飲食を過ごし、そのうえに、無益なことを思い煩う人は、どうして天寿を全うできよう。これは俗にいう「鵜の真似する鴉」の類である。また、人間の一生は飲食の楽しみの為にあるのだと、明日の病気を思わずに過飲過食する輩は、五十年の労苦よりは一日の栄華が勝っていると、眼前、刑に会うのを知りながら盗人を働くものと、とるものは異なるが、その心情は似ているところがあるようだ。このような人には、この事(「養生七不可」)を語っても仕方がない。
今年は享和に改元され、八月五日、私は有卦(陰陽道で、干支による運勢が吉運の年回り。有卦の吉年は7年続き、次の5年は無卦の凶年が続く。)というものに入ったらしい。男女の孫子たちが「不」の文字の付いた七つのものを贈って祝ってくれた。私もまた、若い時から心掛けてきたことと、中国やオランダの諸名家の医学書から養生の大要を一、二とりあげて、牛がこどもを舐めかわいがるような「䑛犢の愛」のあまり、彼らが命長かれと、その有卦に入るもののために、「不」文字七つをもってこの七事(七不可)を作って、お祝いに対して報いるのである。これら(七つ)のことは、医家たる人たちは、よく知っている所であるが、そうでない人たちにとっては知らないこともあると考え、書き出だしたのである。その内臓の主な働きと病・患の伝・変の理は、知っても仕方がないので、皆ここでは省いた。ただ、知り易く、理解しやすいことを願って、俗談をもいれて著述した。ぜんたいに、(文章が)くどいのは所謂老婆の親切と思ってほしい。また、いちいち写して贈るのは筆を執るのが懶し、はたまた、ついでなれば親友の子弟にも頒布することを考えたが、それはなおさらに心苦しく、したがって版木をつくり家に蔵して、贈ろうと思う人の数の分だけをそなえておこうと思う。小詩僊堂主翁著
*享和年(一八〇一)古希の前年、八月五日 刷って知友に配る
附録
「病家三不治」(大槻玄沢) 現代語訳
我が杉田の師翁、今年の仲秋の頃、ある理由から「七不可」という小冊を綴って、その子や孫および私たちに授けてくださった。これらはみな世の中を生きていくうえで教えや戒めとなるもので、われらが皆、この七つの戒めを心掛け、実行すれば、常に心の守りとなり、種々の病魔を免れて、百年の寿命を得る事ができる、その利益には深いものがあるだろう。
私もまた、疾病がある場合、家によって三つの厄がある事をいつも嘆き、憂えるところがあり、「病家三不治」という小冊を書き著(あらわ)した。世の中を憂える心においては、いささか師の深情に近いところがあり、そのため(師の)熱い気持ちにつながって、ともにこれを同志に伝えることを願った。師翁は速やかに許されたので、(私は)ただちにその旧稿よりその大要を抄出して(「七不可」)の後の附録とした。これは師翁の忠誠に賛同し、彼我を救い助ける同志の人々の恩徳に報いようとするささやかな志である。才能に乏しく、身分の賤しい私が冗長なたわごとのようなことを述べて、世間の笑いを受けることも省みないのは、私たちの医学の世界における古い文章に「病気が重くなってから薬を与えて回復するのは、最高の治療術ではない。前もって病気にならないように教えることこそが真の良医である」とあるゆえに、拙い文章に恐れはばかる所ではあるが、私が常々見たり、聞いたりしたことを書きつづったのである。これを読む人は取捨してこの中から選べば、ひとつの助言になるというひともいる。
その年の初冬、徒弟大槻茂質謹んで記す。
賎者病不尽治(賎者の病は治を尽くさず)
貧賤は人の嫌うところであるが、人びとが天から受得したものであるから、逃れようとしても逃れることのできないものである。そのため、貧賤に生まれた人は朝夕の飲食や四季の衣服も適当なものにすることができず、まして住居が狭苦しくて雑然としているのは最も憐れむべきことである。そのようななか、病気になると行き届かないことばかりで、まったくもってその天寿を終えることのできないものが多い。しかし、そのようなものは生まれ持ったものが強実であり、また日常の身体の労働がよいのであろう、少しの病ならばその自然の力で治ることもあるのである。これは貧賤のものの身に備わった天が与えた幸いといえよう。とはいえ、その人その人に生まれつきの強弱と罹った病気の深浅があるので、すべてが天幸でうまくいくものではない。まず、第一は医者らしい医者の薬を思いのままに服する事ができない。ことにまた、幼い時より(医療に関して)聞くことも学ぶこともないので、天から受けたままに生長し、すべてのことを軽く、おろそかに考えて、命に係わる病にかかってもなおざりに考えて、そこらの売薬・妙薬を買い求め、その効能をよくただすこともせず、みだりに用いて効き目がないと、たちまちに惑いて、みだりにあれこれと服薬する。またそうこうしていると心配した人びとが寄り集まって、「この病気はこれを食べると治る、あの病気には何を飲むとよい」というので、得体のしれないものばかり飲み、食べる。ことに貧しい人は多くは賤しく、賤しいものは多くが愚かな故、彼と同類の人の言うことを深く信じて、誠実な人や医者の言うことはかえって、なおざりに聞き流して信じないものである。このように教諭の道さえ、思うようにならない所がある。また、少しでも病気の程度が思わしくないと、神仏の祟りと思い込み、あるいは物の怪のしわざとして、神籤を引いて神意をうかがい、卜者に占ってもらい、巫を信じて、薬をおろそかにし、治療の機会を失って、軽症が重症になり、重症のものは命を失うのである。このように貧家の病人は卑賤で愚かなものなので、分別ある人の教諭に従って、よくこのようなことを弁え、命は大切なものと心得て、かならず誠実な医者に任せるべきである。諸々の病をなおざりにして重症になれば命にかかわることになるので、かりそめに取り扱うことがあってはならない。
豪家病不順治(豪家の病は治を順にせず)
家が豊かで富んでいる人は、金銀利倍のことには熱心であるが、それ以外の事にはたいてい関心が薄いものである。このことは農工商の人たちだけでなく、徳の高い士君子の間でも往々にある。ぜんたいに富者は勢力はあるが、思慮が浅く惑いはかえって深いものが多い。これらの人たちは幼年より何事も思うようにしてきており、しかもすることなすこと廻りがよくて少しも労苦ということを知らない、そういう身に、もし病にかかった時は、いつもと同じように心得、病の深浅も弁えずに、すぐに治るものと考えて、しきりに治癒を急ぎ、多くの医者を招いて治療を願い、朝夕に薬を変え、必要もないのに朝鮮人参や犀角などを用いて、貴重な薬はどのような症状にも効能があるものと考えて、勢いに任せて服用する。それも欲深く度を過ごして服用する。この過ちによって、ちょっとした症状も朝夕に進んでしまい、その節度を失って治療を誤る者が少なくない。これはすなわち、あれを信じるかと思えば、これを信じ、初めを疑って、後になって惑うからである。すべての富豪の家がことごとく愚かなのではないが、その家とつきあいのある一族、身内のものがたくさんあるゆえ、それらのものが寄り集まってその場の愛想として、阿りと諂いを専らにして、何の思慮もなくあれこれと言い募って、まったくの素人を迷わすことが多い。とくに、飲食はその家で行き届きすぎるほどであるのに、あちらこちらから病気見舞いとして贈られるものが多く、気の進まないものまで与えられる。本人も貪り食べてそのためにかえって苦しみが増す者もある。このようなことは、どれも益がなくて、終には軽症が重症となる。ここに及んでは、家の者たちもまた同じように疑惑して、その判断を巫女や占い(巫祝売卜)に託してしまい、生命を失うものが数えきれないほど多い。これは勢力のあることがかえって妨げとなり、疑惑が過ちを生じさせるのである。すべからく、心すべきことではないだろうか。また、都の富豪の人にはときどき書物好きの生物識りとでもいうべき人がいる。その中には医学書の一端を読み、その人の家に病人がある時は、治療を託した医者のいうことを信じないで、ひそかに私意を加えて(手を下し)病の手伝いをしてしまうことがある。いわゆる「書を以て馬を御する(書物のとおり馬を御しても、それだけでは馬の気持ちを深く理解して取扱ったことにはならない)」の類は、これは無益の第一であり、かえって害を招いてしまう。
幼年より学び老いても熟達しないのが医者の技能である。千態万状ともいうべき多様な病状に対してことごとく治療に当たり、その経験を心と目にしっかりと刻み付け、さらにその上で数多くの人を治療しなければ、上達することはできない。片手間に習得した技能で治療をしてかえって害を招くのは、不学のひとよりかえって大きな愚行というべきである。
このような家の病者は、軽症のものは必ず重症になる。色々な病状にみだりに薬を与えることをけっして軽率に行ってはいけない。医者としての仕事は生命に係るものなのだから、(その道を)自ら深く追及して、根本の大切なことを誤ってはいけない。富裕の家はいよいよ深く配慮して、思慮深い人に誠実にこれを相談して、治療の方針を決めたら、けっしてみだりに種々の説を執りいれたりせず、また我見はけっして加えることなく、日常を慎み、変化から身を守り、有能な医家に委ね、そして程度に応じて病気が速やかに回復するようにしなければいけない。冨家はいろんなことが十分に備わっているのだから、ここのところに気づくことができれば、医療はうまくいくのである。
尊貴病不決治(尊貴の病は治を決せず)
貴人は天の貴い恵みによってお生まれになる、最も羨ましいご身分のお方である。しかし、死生は天が決めることなので、貴人といえども逃れることはできない。病気にかかられた場合は却って不幸にして天寿を待たずに身罷られることもある。これは尊貴におわします方にとっては、やむを得ないところもある。というのは、まず、胎内よりその養しなわれ方が、天から授かった自然に違うことが多い。<賤しい身分のものは妊娠しても、その日の仕事に忙しく、常に妊婦である事への自覚も薄く、からだの重さも忘れるほどで、立ち居振る舞いもいつもと変わらない。そのおかげで、血液や気のめぐりがよくて、安産である。これは自然の道にかなっているからである。貴婦人は、これと反対に自然に背いて着帯よりいろいろの習わしがあり、通常とは異なることが多い>お生まれになった後もまた同じように違う。(母親は)添寝、抱寝などのことはせず、また授乳もせずに、乳母の乳ばかりを与える。そのうえ御控え乳母というものを抱えており、おりおりに御前へ参るのであるが、これにも習わしがあり、食事や動作も自由にならない。そのため母乳が長く続かずに、日ならずして出なくなる。そうすると(乳母たち)がひきかえひきかえ参って、(御子に)乳をお与えになるので与え過ぎで適切な養育にならない。また、少しの泣き声を出されてもこれは大変と昼夜をおかず抱きかかえて機嫌がよいのを宜しいとしているのは何事であろうか。<(御子が)這われ、立って歩かれるのも普通の子どもたちと比べると遅い。これもそれまでに理由がある事であり、止むを得ないところがある。> このようなことゆえに、その生長なされた後ももやしをつくるようなもので大地に根差したような養い方ではないので、薄弱にして強健であられないのにも理由があるのである。これらはみな、幼少より育てられる乳母や附き添われる人びとが、いつも集まって何の弁えもなく、無闇に大事、大事と声高にのべる弊害である。たいていは、男の子も婦女と同じように育てられがちである。また、大人になられてからはたくさんの臣下が身近にかしずかれるので、何一つ備わっていないものがなく、自由自在なので、起居衣食はいうまでもなく、臣、僕、妻妾が手足の労をお助け申し上げるので、おのずと身体の労働も少なく心の苦労も露ばかりもご存知なく、万事が満たされておられるゆえにかえって、種々の病気の原因ができることが多い。また、その老少に関係なく、病気がおありになるときは、常用薬を常にさしあげて、そのため腹内は薬気に馴れてしまい、本当に薬が必要なときにはその薬効が賎人より薄くなってしまう。病気が重症になられると、なおさらで、いつものように大事、大事を叫んで、その薬を変えるべき時にも変えず、いたずらに多くの医者を集めて、多くの治療法を聞き、あれをも、これをも危ないと恐れて無駄な時間を過ごし、治療の緩急の度合いを失うことが少なくない。ようやく、その評議が定まって、その治療を託されることが決まってもその医者が、多くの医者の耳に入るのを憚って、本人は十分にこの薬が適当と思っても、古人の説くところに正確に合わなければ大事を大切にと迷って、決断して薬を調じて進めることをしない。ましてや出所の不明な薬は畏縮してなおさらにお勧めしない。あるいはせっかく任せることになった他所からの医者があってもその薬をお抱えの医者たちの評価がまちまちで、速やかに薦めることが遅れ、いわゆる小田原評定にのみ時を過ごしてしまう。つまるところ、より重症となられ、終には身罷られる事が多い。これを要すれば、すべての貴人の病気は、医師として最善の治療を尽くしたということは稀であり、無駄な鄭重さに時を過ごして、いつも最善の治療を尽くさず、残すところがある。「将相豈異種あらんや(将相豈異種あらんや:人間の地位は生まれながらのものではなく、能力によって手に入れるべきものだ)」、生れて声を同じにして、長じて俗世間における身分を異にするだけなのである。徳の備わった行いをこそお教えしなければならないのである。その身体の養生は庶民と異なることはないはずだからである。これは前に述べた高貴な人への仕え方の慣習があり、必ずしも好きこのまないことも仕方なくなされることがあるが、これらはみな自然の養生に逆らうものなので、できるだけこのところに心を懸けて基本を慮てなされればこの弊害はあらためられるであろう。妊娠中よりお生れになった後も、病気に罹られるまで、(すべて)無益な鄭重さに過ぎないようにしていただきたいものである。
右三条は、初めに述べたように私が著した「三不治」の抄録であり、本編にはその詳細が記述されている。ここにはその概略を挙げたのであり、その大要をさらに要約すれば貧賤の病気は、軽忽にあつかって時宜を失い、富家の病気は疑い惑いて治療を誤り、貴人の病気は過剰な鄭重さがよくない。この三つの家々は、常にこのことを弁え、その精神をよく考えて処置すれば、必ず夭折は免れることができよう。おおよそ病家は病気には素人だから病理を知らないのは当然であるが、罹った病気の浅い深いはおのずからわかるべきである。また、衣服や住居はできるだけ分相応に寒さ暑さに適するものにすべきである。食べ物は薄味で淡白なものがよい。美味でボリュームのあるものは害があって悪いものというのはもちろんのことである。しかし、淡白なものの中にも毒あるものがあり、ボリュームのあるものの中にも害のないものもある。万事、託して治療をしてもらう医者に、丁寧に質問してその指図する所に従って私意を加えないことが肝心である。これが医学を知らない病家のもっとも大切な原則である。
仙台医鈴木省三君所贈
明治二十七年月文彦記
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